リフト業界の「日本統一」――メーカーの変遷と、私たちの仕事

リフトの駆動設備 索道・設備
リフトの駆動設備。撮影:村山徹

はじめまして。村山徹です。蔵王の麓で育ち、スキー場の運営に携わってきました。現在は索道コンサルタントとしてリフト設備やスキー場の仕事を支え、一般社団法人スキー場サポートネットワークの代表理事も務めています。『スキー場を一つでも多く次世代へ。』これまでの経験から、どのように実現していくかを綴っていきます。

スキー場で当たり前のように乗っているリフトですが、「国内のリフトメーカーは何社ある?」と聞かれると、すぐには答えにくいかもしれません。今回は、私が見てきた業界の変遷と、所属するファスニング・ディワンのルーツをお話しします。

東の日本ケーブル、西の安全索道

かつて国内のリフト業界には、日本ケーブルと安全索道という二つの大きなリフトメーカーがありました。日本ケーブルは国内最大手として多くの設備を手掛け、安全索道も各地のゲレンデを支えてきました。私の中では、長く「東の日本ケーブル、西の安全索道」という印象です。

その構図が変わる転機の一つは、2004年度に三井物産が安全索道の株式を手放したことでした。その株式を日本ケーブル創業家に関係する会社が取得し、東京索道に日本ケーブルの資本が入ったことでシェア争いの無い状態に入ったということです。スキーの市場が急速に閉じていく中でかつて競い合っていたリフトメーカー3社の距離が、ずいぶん近くなったわけです。

もちろん、各社が一つの法人に合併したという話ではありません。それぞれの社名や仕事は続いています。それでも、業界の力関係を眺めると、私はつい「日本統一」という言葉を思い浮かべます。このあたりの経緯は表に出ている情報が少なく、索道を追っている方の記録を手掛かりにすることもあります。

ほかにもメーカーはある。それでも選択肢は広くない

リフトを造ってきた会社はそれだけではありません。樫山スノーテックやJFEにも製造・建設の実績があります。コロナ禍には、ニセコHANAZONOでJFEがLEITNER-POMA製のゴンドラやリフトの建設に関わりました。

ただ、過去に実績があることと、これからも継続して新しいリフトを供給できることは別の話です。新製品の開発や海外メーカーとの連携には難しさもあり、私には国内で新設を検討する際の選択肢が限られているように見えます。発注先を選べるかどうかは、建てる時だけでなく、その後の維持管理にも関わる問題です。

ファスニング・ディワンにつながる技術

ここからは私たちの会社の話です。ファスニング・ディワン株式会社は、千葉県松戸市でネジやボルトを製造しています。その会社が2019年2月、リフト関連の事業を担う会社を取得しました。

取得先は、メーカーの系列には属さないリフトメンテナンス会社です。その技術の源流をたどると、すでに解散した太平索道というリフトメーカーに行き着きます。太平索道の技術資料はJFEに引き継がれ、設計部門にいた技術者が独立して松戸市で事業を始めた。私が聞いている経緯はこのようなものです。

太平索道製クワッドリフトの握索機
太平索道製クワッドリフトの握索機。撮影:村山徹

小さな会社でも、元メーカーの技術者の知見があり、部品の供給先とのつながりがある。小回りの利く対応や費用面での利点もあります。メーカー系列ではない会社だからこそ応えられる相談があると考え、取得に至りました。私はその半年ほど後に縁があって加わりました。

スキー場を一つでも多く次世代へ

新しい設備を造る仕事も、今ある設備を長く安全に使うために支える仕事も、スキー場には欠かせません。業界の構図が変わる中、小さな非メーカー系の会社に何ができるのか。具体的な仕事については、また次の記事でお話ししたいと思います。

皆さんには、きっとスキー場での楽しい思い出があるでしょう。その何世代もの思い出を紡いできた場所を少しでも長く続けられるようにすることが、私の今世での仕事です。


※この記事は、私がnoteに掲載した「日本統一、リフト業界の話」(2024年11月3日)をもとに、SNOW MAKINGで改めてまとめたものです。写真も私が撮影しました。

村山 徹

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索道コンサルタント

村山 徹

蔵王の麓で生まれ、スキー場で育つ。蔵王のスキー場運営会社で経験を積み、スキーとスノーボード双方の視点からゲレンデづくりに携わってきた。現在は一般社団法人スキー場サポートネットワーク代表理事を務めるとともに、索道コンサルタントとしてリフト設備やスキー場運営に関わる。地域のスキー場を次世代に残すため、持続できる仕組みづくりに取り組んでいる。

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